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院長&スタッフブログ
処暑?白露?
処暑は二十四節気で8月23日〜9月7日頃、厳しい暑さの峠を越した頃とされています。朝夕には涼しい風が吹き、心地よい虫の声が聞こえてくるとのこと。
9月に入り太陽の高度が少し低くなり、徐々に日の入り時刻も早くなってきましたが、 今年はまだまだ日差しは強く、気温の高い日が続きます。
クリニックビル1階、ニチイケアセンターはなぞのの窓の前に小さな花壇があります。かつては私の父が水遣りを行っていましたが、今年3月に父が、5月に母が相次いで永眠し、それ以後の水遣りは私の日課となりました。

私の水撒きが不十分だったからか、はたまた今夏の暑さが閾値を超えていたからか、残念ながら枯れてしまった草木もありました。
9月8日からは二十四節気で 白露(はくろ)、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿りはじめる頃。降りた露は光り、白い粒のように見えるとのこと。日中の暑さも和らぎはじめ、だんだんと秋の気配が深まっていくそうです。
2023年も残り4か月をきりました。これから新型コロナウイルス感染症ワクチンや季節性インフルエンザワクチンの接種も予定されています。慌ただしくなりそうですが、ここはぜひ実りの秋に体調を整えておきましょう。
千倉町 白間津のお花畑
冷たい北風に慌ててポケットに手を突っ込む日もまだまだありますが、暖かい春の陽ざしをありがたく感じる時も増えてまいりました。

六日町 龍言の雪
3月に入り日差しが暖かく感じられるようになりました。昨年暮れから始まった3回目の新型コロナウイルスワクチン接種も、対象が65歳未満の方々へと移っていきます。
白い雪を見ながら1年を振り返りました。日本海側は今冬は雪が多かったとのことでした。



今月からソリオで訪問診療に伺います(千葉市、訪問診療)
2018年10月の開院から訪問診療で約2万キロを走った緑のスペーシアも、3年のリース満期を迎えお別れとなりました。患者さんのお宅を予定時刻どおり訪問するためには、幹線道路の渋滞を避けて細い抜け道を通ることもしばしばです。また1軒1軒乗り降りが頻繁になります。細い道も苦にならない車幅、乗り降りの楽な高い天井と後部座席のスライドドアは、まさに訪問診療にうってつけの車でした。

後継は、私の世代にはちょっと懐かしいパパイヤ鈴木さんと、「1000年に1人の逸材」橋本環奈さんらが、 「ソ、ソ、ソリオ、ソ、ソ、ソリオ」と軽快に踊るCMに誘われて、ソリオになりました。
カラーは緑色がないので、明るいブルーメタリックになりました。引き続き宜しくお願いします。

ぼくのきんじょ二ゆり高山秀一
昭和38年4月、高山は花園小学校に入学しました。3組あった組の名前には「きく」「ゆり」「ふじ」と花の名前が使われていました。高山はゆり組で、担任は石井初江先生、優しい笑顔の先生でした。きく組は海塩先生、ふじ組は吉田先生だったと記憶しています。
1年後、クラス替えもなく石井先生も変わらず2年ゆり組になりました。
昭和39年(1964年)秋、 東京オリンピックの近代五種競技のクロスカントリーが東京大学検見川総合運動場で行われました。花園小学校からもみんなで見に行きました。生徒たちは運動場の芝生にコース沿いに座って、選手が目の前を一生懸命走ってゆくのを応援しました。

その頃の家の近所の地図を描いた絵です。高山の家の住所は南花園町1628番地の6。北側の草地の向こうは総武線。新検見川駅に向かって坂道を下ると、左手に中野牛乳屋さんがある駅前広場、駅横の踏切を渡って坂を登り、左に万仁幼稚園、右に煙草屋さんと白鳥ストアがあって、その先のさくま文房具店でノートを買い、グリーンベルト角の本屋さんで漫画週刊誌を立ち読みして、さらに行くと右手に花園小学校の校門がありました。

近くで潮干狩りができたことを前にも書きました。小学校4年か5年生の頃の写真がありました。家から南にまっすぐ歩いて片側1車線の国道14号を渡ると遠浅の東京湾でした。家に下宿していた千葉大学医学部の大学生のお兄さんが撮ったスナップです。照れ笑いで、なぜかスコップも持たず素手で砂を掘っています。