院長&スタッフブログ

ぼくのきんじょ二ゆり高山秀一

昭和38年4月、高山は花園小学校に入学しました。3組あった組の名前には「きく」「ゆり」「ふじ」と花の名前が使われていました。高山はゆり組で、担任は石井初江先生、優しい笑顔の先生でした。きく組は海塩先生、ふじ組は吉田先生だったと記憶しています。

1年後、クラス替えもなく石井先生も変わらず2年ゆり組になりました。

昭和39年(1964年)秋、 東京オリンピックの近代五種競技のクロスカントリーが東京大学検見川総合運動場で行われました。花園小学校からもみんなで見に行きました。生徒たちは運動場の芝生にコース沿いに座って、選手が目の前を一生懸命走ってゆくのを応援しました。

ぼくのきんじょ二ゆり高山秀一

その頃の家の近所の地図を描いた絵です。高山の家の住所は花園町1628番地の6。北側の草地の向こうは総武線。新検見川駅に向かって坂道を下ると、左手に中野牛乳屋さんがある駅前広場、駅横の踏切を渡って坂を登り、左に万仁幼稚園、右に煙草屋さんと白鳥ストアがあって、その先のさくま文房具店でノートを買い、グリーンベルト角の本屋さんで漫画週刊誌を立ち読みして、さらに行くと右手に花園小学校の校門がありました。

ぼくのきんじょ二ゆり高山秀一

近くで潮干狩りができたことを前にも書きました。小学校4年か5年生の頃の写真がありました。家から南にまっすぐ歩いて片側1車線の国道14号を渡ると遠浅の東京湾でした。家に下宿していた千葉大学医学部の大学生のお兄さんが撮ったスナップです。照れ笑いで、なぜかスコップも持たず素手で砂を掘っています。

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